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- yurizou24
- 12月9日
- 読了時間: 6分
更新日:5 日前
🌃 TOKYO NIGHTS - バブル狂騒曲
六本木から始まった、ひとりの男の野望と挫折の物語
🎭 OPENING - 始まりの鐘
1980年代前半、東京。
県立岐阜北高からKO大学法学部へ。
しかし俺の人生を変えたのは、学歴ではなく時代の狂った波だった。
学生社長ブームが吹き荒れる中、俺はスカウトされた。舞台は六本木。
今でいうキャバクラの原型となる、女子大生を使った大型店の代表社長として。
「大型店なんて六本木じゃ通用しない」
そんな常識を、俺たちは叩き潰した。
🏙️ ACT I - 六本木帝国の建設
💎 THE night CLUB - 夜の王国
会社の数字が全てを語る
📍 六本木店:常時70名、登録350名
💰 日商300万円で全スタッフにボーナス支給
🗾 4年で銀座・新宿など12店舗にチェーン展開した
🌟 VIP ROOM - 著名人たちの素顔
志村けんさん 「週3回、30-100万円の一括払い。麻布十番の住人で、十番祭りの常連。
他のタレントと違って、自分の金で遊ぶ男だった。」
デビュー前のとんねるずさん 当時「『とんねる』と呼んで、前座をお願いしていた。
まさか国民的タレントになるとは。
勝新太郎 さん 勝プロが倒産した頃。オーナーに言われた。
『勘定はいいから接待してくれ』と。ブランデーのオールドパーをサービスした夜を今でも覚えている。紳士だった。
沢田研二さん(ジュリー) 数回のご来店いただいた。しかし大学のテスト期間で不在だった俺は、会えずじまい。人生最大の後悔のひとつ。
🎵 ACT II - 西麻布音楽狂想曲
🍸 AFTER HOURS - 朝まで続く夜
朝まで働いた後は、西麻布の「VAL'S bar」へ。
店の入り口に白人モデルを配置する演出。
そこには音楽界の巨匠たちがいた。
坂本龍一さん - 若い女性好み、それが彼のスタイルだった。
CHAR - ギターの神様
高中正義 さん- フュージョンギターの帝王
🕺 DISCO FEVER - 踊る狂った夜
Studio One(いまは亡きDJマイケル)が一つの俺のホームグラウンドdisco。
RedShoes
Ink Stick(Sadeがライブした伝説の場所)、
George's(ソウルバー)...
マハラジャ、トゥーリア、CREO PARATHII,レキシントンクイーン,TOKIO、
芸能人がよく来たPRESTAGE。
名前を聞くだけで、あの時代の熱気が蘇る。
/🎤 ROCK legend - 伝説の忌野清志郎との邃逅
「友達がバーテンをしていたバーred shoes店に、ふらっと行った夜。
忌野清志郎さんがコンサートの打ち上げをしていて、俺は関係者に間違われた。深々と挨拶された。彼は礼儀正しい人だった。」
📺 ACT III - メディア業界への転身
🎬 Production HOUSE - 新たな戦場へ
渋谷区桜ヶ丘の小さな出版映像プロダクション。
渋谷南口を上がった桜が丘、後の飯島愛さんが住んでいた高層タワーマンションの前という立地にあった小さな事務所。
そこで元ブラックエンペラー5代目総長の岩崎さんと出会い、かわいがられた。
彼も六本木の顔だった。
俺の当時の編集プロダクションでの仕事
篠山紀信撮影でのグラビアモデル手配
講談社、学研、集英社などの記事制作
青年座・安田なるみインタビューがあった(「つまんない質問しかできないの?」と不機嫌だった)
杏里(あんり)所属の渋谷マーマレード事務所取材
INXSコンサートプロモーション
つくば博企画
宍戸ジョーさんとのピンポン大会
🎧 AMERICAN dreams - 音楽の最前線
ロサンゼルスWBLS
先輩がアメリカから持ち帰ったマスターミックス。曲と曲をサンプリングと効果音で繋ぐ革命的手法。DJたちの間でレコードが取り合いになった。
マスターミックス手法の日本導入
東京福生ベースのパーティへ潜入
基地の中では当時バドワイザー1本30円だった
イベントの日、黒人・白人体育館でのDJスクラッチバトル
初めて出会った1980年、黒人HIP HOPで衝撃の思い出
💸 ACT IV - バブルの狂宴
📚 CRYSTAL generation - 田中康夫の時代
『なんとなく、クリスタル』が流行。出版業界は言い値で仕事が舞い込む黄金期。
「この楽しさが永遠に続く」
我々全員がそう信じていた。
その後の失われた20年が到来するなど、夢にも思わなかった。
📊 THE TRAP - 外資に仕組まれた罠
1989年の真実
外資による日経先物プットオプション大量仕込み、その後株価バブル大崩壊。
三菱地所のロックフェラービル買収(2,200億円の罠)
アメリカの指令のもと、日銀三重野総裁の高金利政策
「赤子の手をひねる大人のように、日本に対して完璧に仕組まれた罠だった」
🏠 ACT V - 渋谷松涛(しょうとう)の日々とその後の転落人生
🏰 HIGH LIFE - 高級住宅街の生活
デヴィ夫人の自宅がある渋谷松涛。家賃18万円、駐車場5万円のワンルームマンション。
道玄坂東急本店通りを通って帰宅する道のり。
そこはホテル街への入り口でもあった。
🔥 FIRE - 運命の夜
タイでの家庭教師の仕事で2ヶ月間不在中、マンションで火事。
留守番の弟がドアノブが熱くて脱出できず、危機一髪。焼け死ぬ手前。
やはり「俺は強運の持ち主だった」
💔 COLLAPSE - 制作会社倒産
相撲の元高見山関係の著作がある会社だったが作家出身の平林社長、
めぼしい担保がなかった。
「銀行は作家、芸能人には基本、金を貸さない」
私も給料がなく、渋谷までの電車賃も友人に借りる日々となる。
一日一食の困窮生活。
🚅 ACT VI - 故郷への帰還
👩 MOTHER'S callinng - 母親の上京
「地元でイオン主導のショッピングセンターができる。
親父が商店会の世話役で新店やるから、すぐ帰ってきなさい」
🏪 THE MALL - 大店法の時代
1987年、国の大店法により地元商店会の了解が必要な時代。
中部地方最初の大型ショッピングセンター開発。
立地は戦後日本の象徴・紡績工場跡地。
現在の郊外型イオンモールの先駆け。
「駅前商店街全盛期に郊外型SCなど流行るわけがない」
そんな常識を、また俺たちは覆すことになる。
🎨 ACT VII - 新たな挑戦
💡 INSPIRATION - 運命のデザイナーとの出会い
岐阜のある一軒のサイクルショップのディスプレイに目が釘付けになった。
「壁から突き出した自転車の斬新な発想」
後に加藤周三先生のデザインと判明。
店のデザイナーとして採用して、値段も考えずに即決した。
デザイン料は高かった。
💰 FATHER'S WISDOM - 父親の決断
「お前には物販の経験もないし信用もない。だから店の内装には金をかけろ」
ケチな父親からの意外な言葉。その背景には1990年バブル天井に向かう銀行間の強烈な貸し出し競争があった。
🏦 THE LOAN - 融資の記憶
銀行支店長の言葉:「あなたはもうずっと岐阜にいるんだよね」
裏のある笑顔。今でも忘れない。
人間担保となった。
あるアパレル店舗投資の内容
月家賃:200万円
保証金:3,000万円
月売上最高:3,500万円
🌅 EPILOGUE - 時代の証言者
1987年、駅前商店街全盛期の終焉
「郊外大型SCなど流行るわけがない」
「ジャスコが入ったショッピングセンターなんて流行るわけがない」
しかし時代は確実に変わろうとしていた。
以上、六本木の夜から地方都市へ。
バブルの波に乗った一人の青年の、時代を駆け抜けた記録。
これはある若者の回想録だった。
日本のバブル時代を生きた一人の証言として、当時の空気感とともに刻まれた、時代の記録である。
「俺たちは狂った時代を生きた。そして、その狂気こそが、日本の一時代を作り上げたのだ。」






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